クリスマスのことを考えると、いくつもの感動的な場面があります。まず、大天使ガブリエルがマリア様に現れて、御子を身ごもることを告げる時のことです。マリア様は恐れ、悩みながらも、自分にはわからないけれど、神様のお言葉の通りになりますように、と答える場面です。あの方の一生は、ずっとそのことの繰り返しでした。どんなに大変だったでしょうか。そのことを考えると、私たちは自分の大変さなど、とても文句は言えないと思ってしまいます。ただ、この困難にも、きっと何かの意味がある、そう思うことが出来るのではないでしょうか。
私の机の上に、フランスの修道女が作った小さな少女マリアの像があります。
その像のどこが好きかと言うと、とても真面目な表情の少女は、両手を体の脇におろして、その手をすっかり広げて立っているのです。この像の裏には受胎告知、とタイトルが書いてあります。そのことに気がついた時、本当に驚き、感動しました。受胎告知とは全てをあなたにお任せします、と言って、自分の手を空っぽのまま差し出すことだったのだと気がつかされたのです。
私には、カトリック教会がマリア様を大切に思ってきたのは、そのためだったのではないかと思えるのです。どのようなことが待ち受けているかわからなくても、自分に与えられた呼びかけに従おうとすること。きっと、それがまず最初に私たちに与えられるクリスマスのメッセージではないでしょうか。そして、このことなしには、救い主は私たちに与えられなかったと思うと、私たちの人生も、この少女のように、両手を広げて「お任せします」と言い続けることではないかと思います。