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末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

 私の長男は難病を持って生まれました。満1歳の時に、そのことを知らされましたが、その時はほとんど何もわからず、なんの症状も出ていないので、医学書を見てただただ恐れたり、大丈夫だろうと思おうとしたりしていました。それでも、小さな彼を連れて、毎年何回も国立小児病院の検査を受けに行きました。しばらくは、ほとんど何もないようでした。でも、世の中にはこんなにたくさん、大変な親子がいるんだと思ったのを、文句は言えないなと思ったのを覚えています。

 彼が25歳の時、スポーツの時の怪我で、脊髄損傷になり、胸から下が一切動かないという状態になりました。本人が、悲しそうな顔はしていましたが一切文句も言わず、「自分よりも自分にぶつかった人の方が辛いと思う」と、まだチューブが入っていたので、筆談で話してくれました。

 その時、なんて素敵な息子だろうかと思いました。

 それに、運ばれた病院には小さなお聖堂があって、毎週アメリカ人の年取った神父様がミサに来てくださるのでした。本当にお恵みだと思いました。そして、いろんな時に、息子と同じ難病の方にお会いすることがあるようになり、それぞれが大変な状態を抱えて生きておられることを知りました。教会でお会いしたある中年の女性は、話してみると、小学生の時に足の骨を折って、それがつながらず、結局義足になったのだと話してくださいました。どんなに大変だっただろうかと思いました。

 そして、リハビリ専門の病院に移ってからのことですが、しゃれた感じの若いお父さんが車椅子生活でしたが、ある春の日に、奥さんと小さな子供が来て、病院の庭で、車椅子を囲んでピクニックをしていました。なんて素敵なんだろうかと思いました。 お恵みでした。