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片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 宗教講話を担当する神父として教会や幼稚園、刑務所で働く日々の中でわたしを支えてくれるのは、話を聞いてくださる皆さんのうれしそうな顔だ。「ああ疲れた。出かけるのが嫌だな」と思うようなときでも、幼稚園の子どもたちや刑務所の受刑者の皆さんの喜ぶ顔を思い浮かべると、「よし、頑張って出かけよう」という気持ちになる。聞いてくださる皆さんにとっては、わたしの話が生きるための力になるのかもしれないが、わたしにとっては聞いてくださる方々の存在が生きるための力になっている。誰かのために自分を差し出し、与えること自体が、わたしにとって相手から与えられる体験になっているのだ。

 これはなかなか不思議なことだと思う。わたしは読書が趣味なので、本を読むことによって、本から生きるための知恵や力を吸収する。そして、わたしが読むということが、本が読まれて誰かの役に立つということが、著者や編集者の生きる力になっている。こうしてわたしたちは、互いに自分の最もよいものを差し出し合うことによって、互いに支え合いながら生きているのだ。

 先日、一緒に働いていた高齢の神父が、介護を受けながら生活できる修道院へ旅立った。そのとき彼が信者たちに言い残したのは、「こんなわたしが、皆さんのためにミサを捧げられるとは思ってもいませんでした。皆さん本当にありがとう」という感謝の言葉だった。信者たちにとってみれば、彼がミサを捧げてくれたことに感謝したい気持ちだろうが、彼にとってはミサを捧げさせて頂くことが生きる力になっていたのだ。神さまは、互いに支え合うわたしたちの間に、愛という名の命の糧を与えてくださる。その恵みに感謝せずにいられない。