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西田 仁

今日の心の糧イメージ

 こういう事を言ってはいけないと頭では分かっていながら、私は未だに2000年から変更された口語訳の「主の祈り」がしっくり来ず、それまでの文語訳の「主の祈り」が好きです。

 子供の時に、教会で毎週日曜日の御ミサの中で「主の祈り」を唱えていました。「日用」と「糧」という語彙が無かった私は、文語訳の「主の祈り」に出てくる「われらの日用の糧を」を「われらの日曜日の盾を」とずっと思っていました。子供なりに意味を考え、毎週日曜日に御ミサで唱えるお祈りだったので、日曜日に信仰を守るための盾をお与え下さいという意味だとずっと思っていました。案外とこの解釈でも、お祈りの意味が通じていたので、恥ずかしながら中学生になるまで、「糧」ではなく「盾」だと思っていました。

 大人になって、文章としては成り立つのですが、意味が全く違うことに気づきました。「盾」は外の攻撃から身を守るものですが、「糧」は内から豊かにし、自らをより強くするものだからです。イエス様が教えてくれた「主の祈り」が「盾」ではなく「糧」であったのはとても大きな意味があると思います。信仰はそれを盾にして身を守って閉じこもるものでもなければ、矛のように周囲を攻撃して自分の主張を通すものでもなく、自らを内から豊かにして強くするものだからです。

 自分の信じるものを持つと、排他的になり、自分の信仰に閉じこもり、違う考えに攻撃的になりがちです。おそらく殆どの争いは、悪意からではなく、こうした考え方から始まっているように思います。祈りと共に、信仰を「糧」にして自らを内より充足させ、現世においてキリスト者として自分の成すべき事を精進して参りたいと思います。