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服部 剛

今日の心の糧イメージ

 令和3年6月28日、コロナ禍による自粛で心が滅入っていた私は、緊急事態宣言の解除を受けて箱根へ一人旅に出ました。

 初日は雷雨の中での露天風呂で木造の屋根の下、のんびり湯に浸かりました。翌日は芦ノ湖へ、翌々日は日本画の美術館で優れた作品を観て、「今を生きることの大事さ」を思いました。

 最終日は小田原へ、昭和27年に59歳で他界した民衆派詩人・福田正夫の墓がある久翁寺を訪れました。福田が主宰した『焔』という詩の雑誌は今もあり、参加する詩人達とは私も旧知の仲です。雨に濡れる境内はひっそりとしており、目に入った福田の詩碑はふるさとの浜辺の海を見つめる詩情を綴っていました。福田の墓前に佇むと風は吹き、草々はさわさわと鳴りました。私の胸の奥からは詩への愛情が湧きあがり、〈令和の時代も詩人の魂が生きるように〉という福田の願いが聴こえてくるようでした。私は石段に腰を下ろし、スマートフォンで福田の詩を探すと、「予兆」という詩が引用されていました。

 雲乱れ、海暗くわき上がるとき  風にまつわる夕べの潮騒――  月光はまだ水平線の下にある。

 いたずらに悔ゆるを止めよ、  大空にまろく描く自我の章に、  爽かな力を求める歓気がある。

 吹きなびく丘の花野から、  生め、明日への精神の高貴を――  無窮の生命が予兆を胎んでいる。

 「福田は雷が好きだった。葬儀が行われた6月28日も、雷が鳴った」との説明文があり、今回の旅の初日の雷と、福田正夫の葬儀の日付、そして詩碑と墓に導かれた不思議を思いました。詩人として生きる私は、今回の旅で導かれた縁に、深く癒されたのでした。