今年、7月13日の「生命尊重の日」の集いで京都大学大学院の明和政子教授の話を聞きました。
研究によると、胎児はお母さんの声と見知らぬ女性の声とを区別できるそうです。録音された母親の声を聞かせると、超音波エコーに映った胎児は心拍数を高め、耳をそばだてて聞き入り、口を開けて応答します。見知らぬ女性の声には見られない反応でした。
また、一卵性双生児の場合、自分の身体や、母親の子宮の壁に触れるために手を伸ばすときよりも、そばにいる兄弟姉妹にはずっとゆっくりと時間をかけて手を伸ばし、優しくタッチします。このことによって、胎児はごく早い段階から脳が働き、いろいろな情報を得て「学習していること」、「心があること」がわかりました。
ここからは私の考えです。胎児がそばにいる人を気遣うことに私は大変感動しました。このような人間らしい心は誰が教え、育んだのでしょう。身体の栄養はお母さんからもらいますが、心は誰が糧を与えるのでしょう。
聖書の言葉を思い出します。「神は御自分にかたどって人を創造された」、(創世記1・27)さらに「主なる神は(中略)その鼻に命の息を吹き入れられた」とあります。(同2・7)
神が人に吹き入れられた「命の息」とは「心」のことです。神さまは、人の心をご自分に似せて造ってくださったので、人間は受精卵や胎児の時から尊い存在なのです。胎児は神さまから心の糧を得て育まれ、生まれてからも、一生涯、優しい神さまに見守られて生きるのです。だから何も心配はいりません。
大人は頭でいろいろと計算し、悲観したり悩んだりしますが、どの子もみんな神の子です。神さまのご配慮とお世話に信頼することが肝心です。
すべての赤ちゃんが元気に生まれてきますように。