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中野 健一郎 神父

今日の心の糧イメージ

 毎日ミサを捧げる度に、司祭である私は、「ご聖体」と呼ばれる霊的糧をいただいています。ミサの中で、司祭がパンとぶどう酒を捧げて聖霊のはたらきを祈ると、目の前のパンとぶどう酒は既に、神の子キリストのからだと血であり、それらを食べ、飲む者は、キリストによって、見えない神とも一つになり、霊的に養われていきます。

 以前、毎月御ミサを依頼しに来られる、年配の信者のご婦人がおられました。しばらくお見かけしないと思ったら、癌で入院中でした。病院にご聖体をお運びすると、全身に黄疸が出た弱ったお姿で、「あぁ、ご聖体が受けられる」と涙を流し、至福の喜びに満たされて命のパンを受けられ、程なく安らかに召されていかれました。この方にとってご聖体は、困難な人生を喜びの味で満たし続けた、人生という「旅路の糧」(viaticum)でした。

 次に赴任した教会では、小学2年の女の子が、待ちに待った「初聖体」の日を迎え、この命のパンを受けました。「どんな味でしたか」との質問にその子は、「イエスさまの味がしました」と言います。私は感動して、「どんな味か教えて」と叫びたくなりました。心の清い子どもにしか分からないイエスさまの味。その子は別の表現で「心が温かくなった」と話していました。

 聖アウグスティヌスは述べています。この命のパンは普通のパンと違い、いただいた私の方が、このパンの姿に、即ちキリストのように変えられていくのですと。

 イエスさまの味は人生の味。酸いも甘いも、イエスさまの苦しみ、喜びに私の労苦や思いを合わせ、命のパンをいただくとき、私たちは存在の源である神の命につながっていきます。その糧を日々、より深く味わいたいものだと思います。