とても好きな、詩編の言葉があります。
「あなたの手が労して得たものはすべて、あなたの食べ物となる。あなたはいかに幸いなことか、いかに恵まれていることか。」(128・2)
以前、この言葉は、自分の手で稼いで食べる時こそ、充実感が得られる、という意味だと思っていました。けれど今、糧となっているのは、与えられたものの方がずっと多いことに気づきます。
神学生の時に一緒に生活した仲間の一人は、食べるのが大好きで、料理にこだわりがありました。しばしば、牛の骨をゆっくり煮込んだ美味しいスープを、みんなに作ってくれました。けれども彼は、後片付けが大嫌いでした。それで、彼が料理して私が片付けるという図式が自然に出来上がっていきました。
おかげで、美味しいご飯にありつけて、とてもありがたかったのですが、それ以上に大きな糧となったのは、彼との友情でした。
彼は、これと決めたらとことんやるタイプで、最初はやせるために始めたトレーニングを、ずっとストイックに続けていました。また、彼は、ひとつのレポートを書くのにも沢山の本を図書館から借りてきて、寝る間も惜しみつつ、でもちゃんと食べながら、必死に勉強していました。そんな彼の姿に刺激を受けて、私もあきらめずに、最後まで勉強をがんばることができました。
そして何より感心したのは、彼は、好きな人と嫌いな人がはっきりしていましたが、誰であれ善いところをよく褒めていたことです。大抵いささかぶっきら棒な言い方ではありましたが、彼の飾りのない言葉に、何度も励まされました。
この二つほど歳若い仲間を通していただいた、心身両方の糧に、今も心から感謝しています。
「あなたはいかに幸いなことか、いかに恵まれていることか。」