私の心の糧って何だろう?とふと思いました。
高校時代、人生が虚しくなり、ぶらりと訪ねた新潟県長岡市のカトリツク教会、そこには赤い鼻をした恐い外国の神父さんが立っていて、逃げ出しました。その神父さんは逃げる私に追いつき肩をつかんで教会にひき戻し、美味しいケーキとコーヒーをご馳走して下さり、それがきっかけで教会に通うこととなります。その神父さんはドイツ人。同じ敗戦国の日本とドイツ、高校生であった私は、その神父さんが大好きになりました。
最初は美味しいケーキがお目当てでしたが、そのうち、西洋の神様、キリストという人を知りたくなります。私の母は新潟のお寺の娘でしたので、西洋の神様に興味を持ちだした自分を不思議に感じました。
日々、虚しく感じていた高校生が、その虚しさがどこから生じてくるのか、理解しだしたようです。
厳しい受験勉強、母の突然の死、成績がどんどん下がっていく哀しさ、二人の姉がお嫁に行き、戦犯の父との二人暮らし、母と違い、父が作る食事は実にまずく、会話もない日々が続きました。そんな折、ふと神父さんの言葉が気になりだしました。「高雄君、もう色々心を騒がせないで、思い切ってわたしが言う神様を信じてみませんか?」と。赤鼻のこのドイツの神父さんの言葉を心の糧にして、暫くこの西洋の神様を信じてみようと思いました。信じると見えてくる世界があることを知りました。
高校生の私の悩みは、何の為に生きているのか、理由が分からないストレスでした。そしてその理由を見つけたようです。敗戦国のドイツの神父さんが、同じ敗戦国の少年に生き抜く心の糧を与えてくれたのです。不思議な成り行きの人生、これが神様の深い配慮かもしれません。