イエスが荒れ野で断食し空腹を覚えられた時、誘惑する者がイエスに近づき、石がパンになるよう命じるように言いました。しかし、イエスはお答えになります。「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる』」。(マタイ4・4)
人間が生きていくためには、食糧は必要なものです。兵糧や糧米という言葉があるように糧という言葉には、蓄えておく食べ物、携帯する食べ物という意味もあるようです。しかし、どんなに食事が豊かで、その貯えが充分あったとしても、満たされない何かを感じる時はないでしょうか。
私たちが時に感じる寂しさや孤独感を満たすには、心の糧、つまり心の拠り所となるものが必要なのだろうと思います。人それぞれ、心の拠り所となるものは違うのでしょう。お金や権力、あるいは健康や長寿が心の拠り所であり、それらが生きる活力になっている、という人もいるかもしれません。しかし、それらを失ってしまったらどうなるのでしょうか。
悪魔はなおもイエスを試みて、目に見えるもの、評価できるもの、そして自分自身を拠り所とするように言います。しかし、イエスは「あなたの神である主を試してはならない」「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と言われます。(マタイ4・7)・(同4・10)
神に信頼して生きること。神の慈しみや愛、そしてゆるしは、目に見えず、論理的に説明できるものでも、まして評価することもできないので、時に難しさを感じることがあるのかもしれません。しかし、心で感じ触れていく、そうした心の拠り所は決して失うことはなく、わたしを活かし希望と慰めをもたらす糧となるものです。
私が悩み苦しむとき、それらを乗り越えていく心の糧をしっかり持っておきたいものだと思います。