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中井 俊已

今日の心の糧イメージ

 長崎市には、浦上の丘を彩る「永井千本桜」と呼ばれる桜並木があります。

 その由来は、1945年8月9日の長崎市浦上での原爆投下にさかのぼります。この日、約74000人のいのちが奪われ、74000人以上が重軽傷を負いました。

 愛する家族、家、財産を奪われた人たちの中に、長崎医科大学の永井隆博士がいました。自分自身も勤務中に瀕死の重傷を負っただけでなく、一瞬にして自宅ごとすべて、妻の緑さんをも失なったのです。

 永井博士は、その悲痛の中、倒れるまで医師として人命救助に尽力します。ついには病床に伏しますが、疎開して救われた二人のおさな子を養い育てるために「生活の糧」を得なければなりません。

 「働ける限り働く。腕と指はまだ動く。書くことはできる。書くことしかできない」と、寝たきりでもできる仕事をすることにしました。それは、本を書くこと。「如己堂」という二畳一間の家で、病身のいのちを削りながら執筆し続けたのです。

 こうして、『長崎の鐘』『ロザリオの鎖』『この子を残して』など、死を目前としながら短期間に驚異的な量と高い質の著作を成し遂げます。

 これらの本は、戦争の深い傷跡に苦しんでいた多くの人々の心をいやし励ます「心の糧」となっていきました。

 永井博士は、出版で得た収入のほとんどを長崎市復興のために寄付しました。 

 原爆で荒れ果てた土地を花咲く丘にしようという博士の提案で、桜の苗木1200本が山里小学校、純心女子学園、浦上天主堂、病院、道路などに植えられました。

 歳月を経て、桜の木のほとんどは代替わりしましたが、市民の「心の糧」として、いまも美しい花を咲かせ、平和への願いを呼び起こしているように思えます。