「天にましますわれらの父よ」。この部分だけならクリスチャンではなくても「あ、それなら知っている」という方も多い事でしょう。もっとも、今ご紹介した文語調のフレーズは二十年くらい前から口語に置き換えられて、教会で祈るときも、「天におられるわたしたちの父よ」になっています。
聖書のほんの数行を使って、あなたたちはこう祈りなさいと、主キリストが御自ら教えて下さったこの祈りは、「主の祈り」と呼ばれています。またこの祈りを授けられる前に、主は私達が施しをする時や、心から祈ろうとする時の、あるべき態度を教えて下さっています。
曰く、偽善者のように人に褒められようと、自分の前でラッパを吹きならしてはいけない。(参 マタイ6・2) (昔は本当にこんな事をする人がいたんでしょうかね。)
あなたが祈るときは部屋に鍵をかけ、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いて下さる、と。そして、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。あなたたちの父は願う前から、あなたたちに必要なものをご存じなのだ、とした上で、だからこう祈りなさいと主の祈りを教えられたのです。(同 6・6~13)
この祈りの中程に次のようなくだりがあります。「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(同 6・11)という一文です。糧、毎日の食事は誰にとっても生きるために必要です。特に子供たちは、この食事を全面的に親に期待する他ありません。それと同じように、私達は神の子として生きるための力となるパンを、全面的に親である神に期待するのです。
主はこの食べ物について、「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である」と仰っています。(参 ヨハネ6・27)