泳ぐことが大好きな長女が幼稚園児の時、プールで大勢の人の間をすりぬけながらスイスイと泳いでいると、そんな彼女を見たある米国人が「She has a gift」と言ってくれました。
その瞬間、自分が中学生の時に「gift」という単語に「才能」という意味があると習った時の感動を思い出しました。僕の勝手な想像ですが、キリスト教文化圏の言語ならではだと思いました。才能や能力は神様からのgift、授かったものであるという思想が背景にあるのだと思いました。とても素敵な捉え方だと思い、感動したのを覚えています。
この神さまから授かった「gift」を一生懸命努力して高めていくと、いつの間にか自分の努力の賜物であるような錯覚に陥ってしまうことがよくあると思います。努力すること自体はとても良いことですから、自分でも何も悪いことをしているつもりは無いですし、努力し、自分を高めていくことは実際何も悪く無いのです。それだけに気付き難いのです、自分が傲慢になっていくことに。正しいことをしていたはずなのに、気づいた時には全てを自分でコントロール出来るかのような錯覚に陥り、そして頭を打つのです。
神様はいつも、そんな愚かな私を見捨てる事なく、自分の能力が授かったものであることに気づかせてくれます。こんな事を繰り返しているうちに、自分が生かされているものであることに気づきます。
我が子もきっと同じ過ちを繰り返すのだろうなと思います。大事なことはきっと、傲慢になることがあっても、神様と繋がっていることなのだと思います。「gift」、自分の能力が授かったものであることをいつも心に留めておいて欲しいと思います。