「神さまが与えてくださるものは、何でも笑顔で受け取り、取り去られるものは、何でも笑顔で差し出しなさい」と、マザー・テレサがよく言っていた。
神さまは、わたしたちが生きてゆくために何が本当に必要かを知っていて、必要なものだけを与え、必要のないものは取り去られる。だから、心配せず、神さまが与えてくださるものは何でも喜んで受け取り、取り去られるものは何でも喜んで差し出しなさいというのだ。
神さまはわたしたちが生きてゆくために本当に必要なものを知っておられるが、逆に、わたしたちは自分が生きてゆくために本当に必要なものを知らない。欲望のおもむくまま「あれも欲しい、これも欲しい」とかき集めるが、手に入れた後で必要がなかったことに気づく。「これがなければ生きてゆけない」としがみつくが、実際にそれがなくなってみると、なくても生きられることに気づく。むしろ、それを手放したほうが自由に楽しく生きられることに気づく。そんなことがよくあるのだ。
何かを取り去られるのは辛いことだ。愛着のある品物、長年一緒に過ごした仲間、最愛の家族、そういったものが取り去られるときは、神さまを恨まずにいられないこともあるだろう。だが、取り去られたあと、意外とそれがなくても生きられることに気づくこともある。それらと一緒に過ごした時間が、わたしたちを知らぬ間に成長させ、それらなしでも生きられるようにしてくれていたのだ。自分でも気づかない間に、神さまがわたしたちを成長させてくださっていたのだ。
神さまは、本当に必要なものだけを与え、もうなくても大丈夫なものは取り去れられる。そのことに気づいて感謝し、喜んで差し出せるようにしたい。