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授かったもの

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

 中学生の頃、私は、いろいろな人間関係に悩み、傷つき、「生きる」ことについて真剣に考えるようになりました。暗いトンネルに入ったようで、ずっと心が重く、悩んだ時期が続き、なかなか出口に辿り着けそうにありませんでした。しかし、そのプロセスの中で、はっきりした応えを得たというわけではありませんが、私というこの存在、いのちは「授かったもの」で、人間を超えるもっと大きないのちからいただき、包まれて生かされているのだと、ゆっくりと気づかされたように感じました。その気づきは、自分という存在が腑に落ちることにつながり、今も私を支え、生きる力やヒントを与えてくれるものです。

 カトリック学校で過ごしていた影響で、私にはその大きな存在が創造主なる神様と結びつき、信仰の道を歩み始めるきっかけになりました。特に信仰を持つかどうかに関係なく、「授かったもの」という発想は、何か大きな存在に気づかされ、手を合わせて感謝することにつながると、私は実感しています。

 コロナ禍が長引き、それまで当たり前のように感じていたことが当たり前でなくなりました。人との関係性の中でも「感染させる、感染させられる」という不安がつきまとうようになり、その不自由さの中で、人々との自由な関わり、何気ない会話、日常的に楽しんできた会食等が、どんなに大切で有り難いことだったかと気づかされています。自分ではどうすることもできない現実の中、それまでは面倒にさえ感じていたような日々の出来事や出会いも、実は「授かったもの」なのかもと思えてきます。

 大きないのち、存在から授かるいろいろな出来事や出会い、いのちを大切に生きたいと思う今日この頃です。