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授かったもの

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 「授かる」とは、「神仏や目上の人から貴重なものを与えられること」と辞書にあります。タテ社会の上下関係があってこそ「授ける」立場と「授かる」立場が可能なわけで、互いに平等の間柄では、「授ける」「授かる」の関係は不可能です。

 「命を授かる」という表現がありますが、まさに「命は、この上ない神からの授かりもの」であり、「犯すことのできない、なにより大切なもの」であります。こうみますと、命こそ、「授かる」に最も相応しい、ぴったりの言葉であります。自分自身、生まれたいと思って生まれたわけでなく、いつの間にか、生まれていたという感じですが、これは、命を授かるという計り知れない重大事であったわけで、この摂理の重大さを片時も忘却することは、ゆるされません。生涯、記憶に留めておかねばなりませんが、その義務感は、自ずと備わっており、だれしも自分の誕生日は、自分の名前とともに生涯、明確に覚えており、決して忘れることはありません。

 揺るぎない誕生ですが、その命には寿命があり、終があり、死があります。揺るぎない誕生には、確実な死が共存していることを、かねて熟知し、悟っていなければならないと思います。

 と同時に「授かった」命は「お返しする」運命にあることも理解するとともに、来世に希望の光を見出すことが出来れば、しめたものです。この希望の光を信じ、生きるとき、その希望は一段と高まり、信仰となります。信仰は、人生に力強い目標を与え、日常生活に目覚しい活力を与えてくれます。その活力は、目に見えない大きな実りと幸せをもたらしてくれるのです。