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授かったもの

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 私が神父になってから40年近くになります。

 神父になってから、会話している相手に対し、自分自身の心になかったことを語っていることに気づかされます。

 天から風が吹いたとでもいえるようなことです。

 一番印象深い出来事は、神父になって初めて赴任した教会での出来事です。上司は私に、病者訪問を1年間やるようにと指示したのです。今から考えると、病者訪問を通して、上司は私に、神父の仕事を教えようとしていたのだと思います。

 病者訪問の役目で訪ねた口腔ガンの婦人が、あるとき頬にガーゼで手当をされていました。「どうしたのですか?」と聞くと、彼女は脇にある小さなテーブルに置いてあった紙に、「口腔ガンが進んで、頬に穴が開いてしまいました。もう声で話すことが出来なくなりました。」と書いて私に見せたのです。

 「ああそうですか。つらいでしょうね。」と答えると、「神父さん、質問があります。頬が痛いときに、神様や回りの人に配慮して、我慢すべきなのでしょうか?」と彼女は続けて書いたのです。

 どう答えようかと思っていたときにふと口から言葉が出てきました。「あなたにもお子さんがいらっしゃるでしょう。そのお子さんが小さいとき、転んでけがをしたら、どうしますか?我慢し続けたのでは、子供らしくなくて、こちらが悲しくなりますね」と。すると、「分かりました。ありがとうございます。」と納得したような顔で返事を書いたのです。

 その後、「痛いです。つらいです。」と訴えては、痛み止めを注射していただいて、しばらくすると、静かに天に召されていきました。

 自分でも考えも着かなかった言葉は、きっとその場で誰かが授けて下さった言葉なのだと、私は考えるようにしています。