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授かったもの

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 日曜日の公園で、幼い子どもたちがシャボン玉を吹いて遊んでいるのを見た。数えきれない数の虹色の玉が風に乗って飛んで行く。驚いたのは、一人のお父さんがリズミカルな動作で、こともなげに次々とシャボン玉を掴んでいくことだった。並みの人間にはあり得ない、す速い手の動きと身のこなしだったが、それもそのはずで、そのお父さんは有名なプロボクサーだったのである。有名選手でも子どもの世話をちゃんとしており、子どもを遊ばせてやりながら、その遊びも自分のトレーニングに役立てていることには、感心するばかりであった。

 こんな高い身体能力を具えているのは、ごく限られた人々だろう。私のように、子どもの頃から運動が苦手でスポーツを楽しめない者と優れたアスリートでは、お互い、別の種類の生き物に見えるほどではないかと思う。

 確かに、自分の周囲を見回してみるだけでも、人々には本当に様々な能力や長所があることに気づかされる。そしてそれがうまく組み合わされることで、世界は成り立っているようなのだ。

 人々に様々な能力や個性があるのは、神秘的な謎のようにも思われるけれど、すべては授かったものなのだ、と考えれば、納得がいく。

 聖パウロのローマの信徒への手紙12章6節には「私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。」とある。私が授かったのは低い身体能力だったが、そのおかげで、子どもの頃から、読書が大きな喜びになった。劣っていると見えたものが、実は意味深い賜物だったりするのである。

 私たちには見えないところで、よきものが意図されている。私たちの中に、授けられたものがある。