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授かったもの

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 今、生きている環境に感謝している友達も多いのですが、最近は「自分が死んだらどうなるのかなあ」と呟く友人が何故か増えてきました。

 友達ばかりでなく、ご縁のある幼稚園の子供たちも「死んでいく」姿に深い関心があるようです。道路のアリさんたちの大行列を踏みつけた友達を非難し喧嘩したり、公園で見つけた小鳥の死を囲んで大騒ぎしている子供達を観て色々考えさせられました。

 一つの生命が終わる、その姿、状態は海や山、湖、川で相当違います。

 動物ばかりでなく、公園で手入れされている薔薇と、道端で踏みつけられつつも必死で咲いている野薔薇では、見ている私の感受性も大いに違ってきます。手入れされた公園の薔薇は安心して観ていられますが、踏みつけられている薔薇には、少々哀しい気分になりますので、詩人のような心境になります。

 このように人間も動植物も、生まれた環境次第で生き様が違ってくるようです。この生まれた環境を天からの授かりもの、或いは試練として解釈する友達もいます。自分が生まれ育った環境を恨んだりしますと、どうも人は不幸になるようです。自分の意思に関係なく生まれてくる人間ですので、どう解釈するか、という考え方を知らないと、不安感に支配される傾向があるようです。

 ホモサピエンスと呼ばれている人間の歴史には、幸、不幸、さまざまな歴史が山ほどありますが、自分の今の環境を、愛そのもので、かつ、全知全能の神様が全てをご存じで授けて下さった賜物だ、と解釈したら、どうなるでしょうか?そう解釈しますと、人に安心感が生まれてきます。

 まして、人が死んだら天国に到着出来ると解釈したホモサピエンスは幸せな人生を送るようです。