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授かったもの

中野 健一郎 神父

今日の心の糧イメージ

 8年前のある夕方、司祭館でテレビのスイッチを入れると、見慣れた地元の繁華街が映り、インタビューが行われていました。

 「出生前診断を受けたとして、生まれる予定のあなたの子に障害があると分かったら、あなたは産みますか」という質問でした。「何があっても産みます。授かった命なんだから」という声もあれば、「絶対産んではいけない。親子共々、お互い不幸になります」など、意見は実に様々でした。シールでフリップに貼られた「産む」「産まない」の人数は、結果的には半々でした。しかし実際には、胎児に「異常」があると分かった妊婦の九〇%以上が、中絶に踏み切っているとの厳然たるデータがあります。

 私の弟も、自閉症で情緒障害を持っています。障害者は不幸で、社会に不要な存在だという理由で、障害者施設の入所者が殺害される事件が数年前にありました。それなら私の弟も、生きている価値はないと言うのか、いや断じてそうではないと私は訴えたいです。言葉はたどたどしく、こだわりもありますが、手先が器用で、勤め先の金属加工工場の方は、「うちの大事な職人さん」と言って大切にしてくださいます。そして、何ができてもできなくても、私にとってはたった一人の、可愛い大切な弟なのです。

 マリアは天使のお告げを受けて、「なぜ私が身ごもるの?」「救い主の母って何?」という思いで大変だったと推察します。産んだら必ず苦労を背負う。しかし不妊の女と言われたエリサベトを訪問し、身ごもった彼女を鏡のように見たとき、マリアはお腹の幼な子のうちに秘められた、大きな恵みに気づいたのではないでしょうか。

 私たちは神からの賜物。そのことを思い出せますように。