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授かったもの

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 「弱ったなー、ともしびに書くことが何も浮かばなくて・・」。

 「お題はなに?」という妻の問いに「"授かったもの"と言うんだけど・・」と私。

 そしたらとたんに妻の口から、なんのためらいも無く、流れるように「授かった妻がいるじゃないの」と言われました。「あ、ホントだ、これにしようかな-」と思いはじめていた、5月末のことです。

 高齢者である私達夫婦も該当する、コロナワクチン接種の申し込み日がありました。そこで、私はパソコンの前に、妻は電話にとりついて、申し込み作業にかかったのです。

 私は市役所からの広報に従って、何とか必要事項を打ち込んでいくまではできました。その間、妻はいくらかけても話し中の電話に、かけ直しかけ直し奮闘しておりました。これはかなりつらい作業ですよねー。

 一方の私はパソコンの作業はどうにかという腕前です。分からないことが多くて、胸が重くなり、ぐったりします。それでもとうとう、ワクチンを接種して貰いたい病院を指定して、あとは日時を決めれば完了らしいところまで漕ぎつけたのです。いやーよかったー。ところが、そのページを開いたところ、青いバツ印で埋まっているではありませんか。それより先へはどうしても行けないのです。そのうち、本日の予約は終了しましたと表示されて、とりつく島もないのです。妻はそれでも電話をかけ続けていましたが、とうとう二人ともあきらめてしまいました。

 そんな経験をしましたが、あの時から私達夫婦の本音は、医療従事者の次には一般の若い世代に接種して貰いたいと思っていたのです。

 私達はもうかなり生きたので、より若い世代が、神様から授った命を大切につないでいって欲しいとつくづく思っているのです。