「なんて寂しいんだろう」と感じる瞬間があります。特に想い出す寂しさは、高校2年生の時の母の死と、1969年頃、アメリカとソヴィエト連邦が激しく争った冷戦時代のモスクワへの旅でした。あの寂しさとその後の沢山の寂しさでも、心が病むこともなく今日まで生きられた我が人生は奇跡です。
私の心に寄り添って元気づけてくれた人は日本人もいれば外国の人もいます。その人々に共通している点は、ひたすら私の心をさらりと聞いてくれたことです。時に、涙まで流しながら何故私の話を聞いてくださったのでしょう?不思議な時間でした。私の悩みは具体的な事が言えないケースでした。
その人々はすでに天国に旅だっていますが、私の心の中で、ともに生きています。
さて、最近公園で見た風景ですが、訳の分からない子供の話、しかも、泣き叫びながら語っている話を若いお母さんが静かに聞いているのです。失礼かと思いましたが、私は疲れたふりをして近くのベンチに座り、ボトルのお茶を飲みながらその若いお母さんの様子を観察していました。お母さんは、ただ頷きながら背中をさすっているのです。10分くらい経ちますと、その子供が笑い出した様子を見て、驚きました。優しい母親とはあれだ、と感動しきりでした。
私もこれまで原因不明の暗い感情に振り回されて生きてきました。原因不明の暗い感情を、ジーンとする温かい雰囲気で解決してくれた人々は、想えばその折々に神様が派遣して下さったようです。しかも内容に応じて、タイムリーに私と出会ってくれています。
生身の人間が持つ不思議な愛情の力を改めて考えさせられています。
人間って何と不思議な生き物だなあと感動しています。