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ともに生きる

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 「人」という漢字は、2片で成り立っていますが、1片同士、互いに支え合っており、独りでは生きていけない「人間」の性質を表しているようです。独りぽっちでは、存在し得ない人間です。「ともに生きる」ことが運命付けられています。

 そもそも、人間の誕生は「ともに生きる」父母あってこそのことであります。誕生後も、両親の子育てが必要です。保育園や幼稚園の力も借りねばなりません。保育園や幼稚園では、先生はじめ、他の園児と「ともに生きる」生活が始まります。「ともに生きる」生活には、わがままは、ゆるされません。各人、それぞれ、人の身になって考えることができる思いやりの心とともに、自己制御、自己コントロールの力も身につけなければなりません。

 その際、かつて経験した個性を埋没させる軍国主義や全体主義のやり方に陥る危険も「なきにしもあらず」です。そのような忌むべき事態を2度とくりかえさないよう特に留意すべきだと思います。個性を埋没させる全体主義に対して、個性尊重の個人主義は、自由主義になりがちで「ともに生きる」精神から、かけ離れる可能性があるように思います。

 うるわしく「ともに生きる」には、社会構成メンバー全員がその社会の共通善を認識し、その実現のため、互いに献身努力することこそ、重要、不可欠だと思います。その社会の共通善実現のために、なにが必要かと言えば、一つは、盛り上がる世論の的確な掌握、もう一つは、世論掌握の先覚的リーダーの存在であると思います。この二つが揃ってこそ「ともに生きる」が麗しく実現すると思います。盛り上がる世論と先覚的指導に大いに期待したいものです。