私が独身の頃、あるシスターと〈結婚とは何か〉について話したことがあります。「私は神様と結婚したようなものですが、出会ってきたご夫婦を思い返すと、良い夫婦とは互いに見つめ合うよりも、同じ方向を見つめるパートナーでは、と感じます」。そう語られた言葉が、今も心に残っています。
私は妻と結婚して10年が過ぎました。出会った頃から共通の話題はもっぱら文学や哲学で、その根底には〈人を癒すものは何か?〉という課題がありました。語らううちに、〈人は人で癒される〉ことを知り、妻はスピリチュアルケア(心のケア)という学びを修めました。人は自分の抱える魂の叫び、哀しみ、歓びなどを誰かに話すことで癒され得る存在であり、その話を聴かせていただくには、その手法と姿勢を知る必要があるのです。
やがて、妻は病院で患者さんのお話を聴く仕事に就き、心の中で求めていた道を歩み始めました。そのため忙しくなった分、文筆業で時間にしばられない私が、いかに妻を支えるかがテーマとなりました。これまで任せがちだった家事や育児を手伝わねば、と奮闘しています。妻が出勤する日の朝は、ダウン症をもつ小学生の息子を学校のバス停まで送り、洗濯、食器洗いなどをして、ようやく本を読み、原稿を書きます。夕方は息子を風呂に入れたり、食事介助をしたり。〈今まで頼りすぎていたなぁ〉と反省しつつ、〈これが、今頃病院で妻が患者さんに寄り添うことにつながっているのだ――〉と、気づくのです。
時には、疲れて帰宅した妻の不機嫌に肝を冷やし...顔色をうかがう夜もありますが、これからも共に助け合い、「今日は患者さんと良いひと時だったわ」と語る妻の話を、私は待っています。