▲をクリックすると音声で聞こえます。

ともに生きる

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 私の好きな聖書の個所の一つでもありますが、次のようなイエスさまの言葉が記されています。

 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。...わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」(ヨハネ15.1~4、5)

 この個所で、イエスさまはご自身を「ぶどうの木」にたとえられ、私たちは「枝」にたとえられています。ぶどうの木につながっている枝である私たちは、ぶどうの木から切り離されてしまうと、生きていくことができません。だから、イエスさまは私たちにおっしゃいます。

 「わたしにつながっていなさい」と。

 イエスさまにつながっている、ということは、イエスさまと「ともに生きる」ということです。イエスさまとともに生きる、ということは、イエスさまがこの私といつもつながってくださることを心にとめつつ、イエスさまの語られた言葉や愛の掟を生きる、ということです。

 「すべての人を大切にする」というイエスさまの愛の掟を生きる時、私たちは多少の困難を感じながらも、そこに新しい関わりが生まれることを感じ取ります。それはお互いを本当に生かしあう愛の交わりです。

 「わたしもあなたがたにつながっている」というイエスさまの約束の言葉に支えられて、私たちはこの愛の掟を生きていきます。自己中心という自らの殻をうち破り、周りの人たちへと心を向けて、自らの足を一歩踏み出していくのです。