~私達がなかなか大変なこの世での生活を、神様の援けを借りながら歩み通せたなら、またその結果、神様にまみえる時が来たなら、その時、私達はどんなにホッとする事でしょう。~
この一文は、2年前にこの番組で放送された「ホッとするとき」という私の文章の締めくくりの部分でした。
私は「ともに生きる」と言うことを考えると、どうしても、妻とキリスト教信仰との2本の柱を外す訳には行かないのです。確かに妻は時として神様より権威を持って、私の前に立ちます。私はそういう時でも、慌てず、また騒がず、パウロの言う「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」という態度を貫こうとしているのですが・・。(参 ローマ12・15)
とにかく二人でともに歩けることは嬉しいことです。二人で同じ神に目を上げ、礼拝出来ていることは他の何にも増して幸せです。これ以上の幸せはちょっと思いあたりません。というのも、心の一番深いところで共感しており、それについて、互いに信じあえるからです。
しかしこれも、主が今の日本のように安全なところに私達を置いて下さっているから、私も何も恐れずに、思う事を言えるのかも知れません。もし今のミャンマーやロヒンギャ、ホンコンやウィグルの人々のような立場に置かれたとすると、私はそれでも勇気を持って、同じように信仰を告白出来るでしょうか。
せめて、何とかそれが出来るようでありたいものです。せめて、あの不幸のどん底にある人々に、世界中から祈りが寄せられ、そこから具体的な救いの手が差し伸べられるようであって欲しいものです。
主イエスは福音書の中でこう仰います、「人々は東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席につく」と。(参 ルカ13・29)