
「慎ましく」生きるというのは、何事もほどほどが良いという節度ある生活態度のことではないでしょうか。しかし、それには何事も節制するという強い意志が必要です。
人間には生きる上で、また成長する上で、その原動力ともいうべき欲望や欲求があります。卑近な例で言えば、飲酒、飲食でしょう。好きなお酒が出れば、つい飲み過ぎてしまいます。私自身もそういう飲み過ぎの体験があります。食べ過ぎでも、肥満につながり、成人病のもとになるでしょう。それをコントロールするには、強い意志と賢い考え方というか思想が必要であると思います。
昔の逸話ですが、あるとき徳川家康は、側近の家来に向って、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という諺があるが、お前たちはどちらを取るか、やり過ぎることか、足りないことか、と尋ねます。すると多くの家来は、「やり過ぎることを選びます」と答えました。すると、家康は、わしは「足らざるを取る」と答えます。そして。家来たちに語ります。戦いでも日常の行動でも、足りなければ、それを補うことができる。しかし、やり過ぎてしまったら、後で取り返しがつかなくなるだろう。
こうした家康だからこそ、幾多の戦で負けたりしましたが、最後には勝利を得て、天下を取り、末永く国を治めることができたのでしょう。
「過不足なく、中庸を得る」ということは、立派なことであり、理想的なことですが、人生なかなかそうはいきません。その時には、家康に倣って「不足」つまり「慎ましさ」を選ぶ方が賢明なのではないでしょうか。

慎ましく生きるとは、どのようなことでしょうか。
実際に慎ましく生活している人を思い浮かべてみました。その生活は、贅沢とは無縁で、質素です。
住まいは、生活するのに十分な大きさで、部屋は丁寧に掃除がされています。
食事は豪華でなくとも、健康を考えて栄養があるものが食卓に並びます。過度に食べてお腹を壊したり、飲みすぎて二日酔いになったりすることもありません。
衣類は、派手ではなく、高価でなくても、品があって清潔感のあるものです。
大金はもっていなくても、自分を豊かな心にする趣味や楽しみをもっています。時には一人で、時にはまわりの人と有意義な時間を楽しむことができます。
慎ましい人の言動は、控えめで思慮深いものです。あまり感情的にならずに、怒りを表すことも、まずありません。自分が一歩引き、相手の立場を考えてゆずることができます。また、自分の話ばかりせずに、人の話にうなずきなから耳を傾けることもできます。
このような慎ましい人は、目立ちませんが、実際に多くいらっしゃいます。いま放送をお聴きになっている方もそうかもしれません。
過去に慎ましく生きていた人というと、私はまず、聖書に出てくる聖家族を思い出します。すなわち、イエス・マリア・ヨセフです。
ナザレの小さな村で、ヨセフは大工の仕事をし、マリアは主婦の仕事をして、イエスを育て、3人は仲良く暮らしました。
神様は、この世で慎ましい男女の子どもとして生まれることを望まれ、慎ましく暮らすことを好まれたのです。
神様は、私たちの生き方の模範を、聖家族によって示されました。
ゆえに、慎ましく生きることは、私たちの幸せにつながっていくのです。