30年ほど前に聞いた話であるが、ある父親がいて、給料もボーナスもかなりの額入っているのに、妻子に対し決して贅沢をさせなかった。
自分自身も品行方正で、飲み歩いたり、ギャンブルなど見向きもしなかった。
ケチな父親だ、一体、何が楽しくて生きているのだろうと子どもたちは思っていた。
しかし、父親が亡くなったあと、多くの団体や施設より、感謝の手紙が届いてびっくりした。
父親は妻にも言わずに、ひそかに恵まれない所へ多額の寄付を続けていたのであった。
そのことがわかり、妻子は父親の生き方を見直し、やがて尊敬に変わった。
イエスさまは「右手が善いことをしても左手に教えてはいけない」(参 マタイ6・3)とおっしゃっておられるが、その父親はひそかに天国に宝を積んでいたのであった。
昨今、つつましいという言葉は生活面や物について言われることが多いが、広辞苑などで調べると本来の意味は物というより、その人の言動や心もちをいっているのだということがわかる。
「他に知られたりすることが遠慮される。その行為が他から見て控えめである。気恥ずかしく感じられる」など。
私の友人の母親は大家の奥さまであるが、出かけるのにタクシーを呼ぶ時、近所の目のささない場所にひそかに呼び、そこから乗って出かけ、帰宅もその場所という。
人を羨ましがらせないのもつつましい行いのひとつである。
先日、こんな川柳が目についた。
「しあわせよ、ごはんもあるし、おふとんも」今、あるものに感謝して生きていきましょうと呼びかけていた。