感染症拡大の影響で昨年は殆ど足を運んでいない広島での事です。
数年前、広島駅の改札口を出た時でした。そこで出会った外国籍の神父さんに私は盛んに話しかけました。と、「広島を歩く時にはそっと歩いて下さい。・・ではないのですか?」と言われてしまいました。戦争中に子どもだった私よりずっと若い人です。
「誰がそんなこと言ったの?」と聞くと、「神父さん自身ですよ!」と言われてしまいました。確かに私は、朗読劇「この子たちの夏」の台本に掲載されていた、被爆者水野潤一さんの祈りのような詩を、機会あるごとに皆に伝えていたのです。
それは{広島を訪れる人々よ この町を歩くときにゃァ どうぞ いついきしづかァに こころして 歩いて行ってつかァさいや・・・}という詩文です。
広島市役所によると1945年末迄に約14万人、2020年8月6日迄に32万4129名の方々が原爆死没者として名簿に記されています。現在の広島は人口百二十万都市で、有名な原爆ドームなどは別として、案内掲示によらないと原爆の被災地ということを感じないかも知れません。しかし、足下には歴史が染み込み刻まれています。思いを深め、人として慎ましく歩くのは大切な事ですね。
現在沖縄の普天間基地移転先としての名護市辺野古の基地化の為、沖縄南部の土を埋め立て用に使う計画に反対の声が上がっています。その辺りは沖縄戦の激戦地、未だに亡くなった方の遺骨の収拾が行われている所です。戦争で無念の死を遂げられた方々の血肉が染み込み、お骨の遺る土地の土を、軍用基地を造るのに用いることは人として慎ましくないと痛感し、止めてほしいと声を合わせています。歴史認識をはっきりさせ、今を慎ましく生きる事を望むのです。