人間の欲が絡む様々なニュースを見ながら、「幸せってなんだろう」と、ふと考えるときがある。多くのものを所有すること、権力の座にいること、健康であること・・・。でもいつか、それらがすべて奪い取られた時、何が残るのだろうか。誰も傷つけず、みんなが幸せで、決して奪い取られることのない幸せはあるのだろうか。
相田みつをさんの詩に"うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる。うばい合えば憎しみ わけ合えば安らぎ"というものがある。
神様に与えられた多くの恵み。それらを必要な分だけ用い、互いに分け合えば、貧困や不平等、気候変動や環境劣化は解決され、平和と公正な世界が築かれて、みんなが幸せに生きるための持続可能な開発目標(SDGs)を達成することもできるのだろうと思う。けれどもいつの間にか、互いに奪い合い傷つけあいながら、自分だけの幸せや喜びを求めてしまう私たち人間。みんなが幸せに生きるためには、私たち一人ひとりの悔い改めが必要なのだろう。では、悔い改めるために何をすればよいのだろうか。
洗礼者ヨハネは言う。"分かち合うこと"、"必要以上のものを求めないこと"、"自分の分で満足すること"。この洗礼者ヨハネのことばは、慎ましく生きるようにとの呼びかけにも聞こえる。(参 ルカ3・11~14)
自分が持っているものを分かち合ったり、惜しみなく与えたり、仕事を誠実に行うことによって、誰かの生活を豊かにし、誰かを幸せにする。私利私欲の生活を見直して、慎ましく生きることで、誰かの心を満たす愛の実践を行っている。慎ましく生きることによって私は、知らないうちに、何者からも奪われない幸せを手にしているのかもしれない。