慎ましさ、という言葉から、私は日本人らしさを想起します。誰かに贈り物を渡す時「つまらない物ですが」と言ったり、「ささやかながら」と言ったりするのも、その表れでしょう。聖書にも慎ましさを伝える言葉はあり、イエスは「善いことをする時は、右手ですることを左手に知らせぬように行いなさい」と語っています。(参 マタイ6・3)確かに、小さな親切でも人知れずそっと行うことは、イエスの願う愛を生きることにつながります。
夫婦の場合はどうでしょうか。夫婦の在り方はそれぞれですが、私は妻に気を遣わず、「洗濯物を入れておいたよ」等、さらりと伝えることがしばしばです。その声かけも信頼があるからできることで、妻の反応をみると、私からの「ありがとう」も含め、言葉に表した方が嬉しいようです。
ところで、私は長年、高齢者のデイサービスで働いていましたが、今も月に数回、施設を訪問してレクリェーションを行っています。思い出を分かち合ったり、親睦を深めるゲームもしています。ある日、皆さんに「ありがとう」というテーマで手紙を書いていただきました。101歳になるMさんはある思い出を読み上げてくれました。「10年前、私が意識を失い倒れた時、通りすがりの青年がすぐに駆けつけ、救急車を呼んでくれたそうです。彼は自分の名前も言わずに行ってしまったの...その青年のおかげさまで、私は今も生きています」。
しみじみ語り終えると、仲間の皆さんから温かい拍手が起こり、彼女は静かに微笑みました。
先日、私が風の強い日に近所を歩いていると一台の自転車が倒れており、起こしてから駅へと向かいました。大したことはできなくても、小さな愛を積み重ねるように、私は日々を歩みたいです。