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慎ましく

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 何を幸せと考えるかは、人によってずいぶん違う。千人いれば千通りの幸せがあるといってよいし、少なくとも「これさえあればあなたも幸せ」というような形で幸せを定義するのは不可能に近い。

 わたしが知っているあるお医者さんは、服装にあまり気を使わない。大きな病院を経営しているのでお金はあるはずだが、高級な時計を買ったり、外車に乗ったりすることもない。家族と過ごす時間を大切にし、休みの日には市民農園で野菜づくりに精を出す。それだけで毎日を幸せに暮らしている。ちょっと不器用だが正直で、患者さんたちから愛されるお医者さんだ。

 老人ホームで介護の仕事に従事しているある女性は、ご主人に先立たれ、子どもたちも巣立ってまったくの一人暮らしだ。仕事を通して生まれる出会いと、稼いだお金で友だちとときどき出かけるバス旅行を楽しみにして、毎日を幸せに暮らしている。たまには子どもや孫も会いに来てくれるし、何一つ不自由はないそうだ。

 幸せとは、お金があって、贅沢な暮らしができること。仕立てのいい服を着てバリバリ仕事をこなし、いわゆる上流の人たちと付き合うこと、というようなイメージもあるが、そんな暮らしをしながら本当に幸せそうな人にはあまり会ったことがない。逆に、いつも誰かをうらやんだり、自分がまだ持っていないものについて悩んだりしていて、あまり幸せそうに見えない場合が多いのだ。

 結局のところ、何が幸せかは、一人ひとり自分で決めるしかないということになる。生きがいを感じながら毎日を楽しく暮らすために、自分にはこれがあれば十分。そう思えるものを見つけ出し、それをしっかり守りぬく。それが幸せということなのだろう。