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慎ましく

シスター 下窄 優美

今日の心の糧イメージ

 私たちの修道会は聖母マリア様の名前を戴いています。そして、「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように」というマリア様の言葉を自分たちのものとしています。さらに、この言葉のラテン語の頭文字をとったFiatの文字を会章として胸につけています。マリア様の生き方に倣おうとしているわけですが、具体的にどのような生き方に倣うかというと、その慎ましい生き方ではないかと思います。そして、慎ましく生きることの根本にあるのは、自分が何者であるかを知るということだと思います。

 私は、イエス様が十二使徒を選ばれた場面を読む時、いつも私たち自身の召命に納得させられます。私たちがこの会に呼ばれた理由は、パウロがコリントの教会の信徒に書いているのと同じです。

 「神は知恵ある者を恥じいらせるために、世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、世の弱い者を選ばれました」。(2コリント1.27)これは謙遜で言っているのではなく、事実です。私たちは、何か目立つようなことがあると「これは私たちらしくない」と思います。ですから、この原稿の執筆についても「本当にいいの」という声があったくらいです。

 マリア様は神のお告げを受けたとき、ご自分の理解を越えた神の計画に「そうなりますように」と答えました。それは、神がご自分にそれをお望みであるという事が分かったからです。マリア様の決断の根拠は、それが神のお望みであるかどうか、それだけでした。

 私もどれほどのことが書けるのか分からないけれど、神様が私たちを使おうとしておられることは分かりましたので、書かせていただきましょうとお答えしたわけです。Fiatを生きるものとして。