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慎ましく

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 神父になるための学生だった頃からお世話になった先輩神父がいます。

 いつも、「おまえうまいもの食べているか」と言って、学生の身分では食べることのできない店へよく連れて行ってくれました。

 何重にも積み重なったうな重、松茸の香り豊かなどびん蒸し、郊外のしゃれた隠れ家的な店での鮎料理、築地市場付近の鮨屋の舟盛り、動いているのをおそるおそる食べた鯉の活き作りなどなど、その後めったに食べることのないものばかりです。

 私が肉嫌いなのを知っていて、「この前、おまえの先輩が来たときはステーキ屋だったけど、おまえには無理だからなあ」と、私の好みに合わせてくれていました。

 その後、その神父を訪ねて、働いておられる教会にうかがったことがあります。

 色々な会話で時間を忘れかけたとき、「もう昼だから、食べて行きなさい」と声をかけてくれました。いつも私を豪華な食事に誘ってくれる神父の昼飯に興味があり、「お願いします」と返事をしていました。

 ところが、出てきた昼食はお湯がかかったチキンラーメンに卵が一つ載っているだけなのです。私がびっくりしていると、「いつも良いもの食べているから、昼食はこれが良いんだよ」と笑って応えてくれました。

 よく考えてみると、神父の給料では、贅沢は続きません。その神父の部屋を見回して見ると、贅沢なものは何一つありません。本当に慎ましく暮らしているのです。

 この神父が亡くなられて、楽しい食事を思い出すたびに、「感謝するなら、おまえも同じことを後輩にしなさい」の言葉が響きます。"誰かのために"の心が、普段の慎ましく淡々とした生活の土台になるのだと感じます。