子どもの頃、不思議に思うことがあった。
公共要理で、「神さまは全知全能だから、お出来にならぬことはありません」と習ったのに、世の中には悪いことをする人があとをたたないのが解せなかったのである。
それで、私は神父さまや教え方さまにそれをききに行った。
「神さまはなして、悪かことばする人ば、その前に止めてくれんとね」とたずねた。すると意外なことばが返ってきた。
「神さまはさ、人間に、自由意志というもんば与えたけん、止めてくれんとよ。何でも自分でよくよく考えて行動せんばよ」。この返事をきいて、私はがっかりした。
「なーんや、いざという時には神様が悪かことばせんように止めてくれると思うとったとに・・・」そう思って家路についた。
家に帰ってそのことを父母に言うと、「そうたいね。自分で考えんばよ。そん考えがあやまらんように、教会のけいこ部屋で習うとっとよ。よくよく神父さまや教え方さまの教えばきかんばよ」と答えてくれた。
「ふーん、じゃばってん、心配たいね。自分でちゃんと出来るじゃろうか」とまたいうと、父母は「出来るとよ」と力強く答えた。
「神さまがいつ、どこにでもおらして、あがのことばいつくしんでみてくれよっとよ。あがが神さまのことば忘れることがあってん、神さまはあがのことは片時も忘れんとよ」
8歳ぐらいの時にきいたこの言葉がずっと私を支えてくれた。
聖歌を口ずさむが、「いつくしみ深き友なるイエスは・・・」と歌い出すと、神さまに包みこまれるような幸福を感じる。