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いつくしみ

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 「悪いことばかりしていると、死んでから地獄に行きますよ」と言って、親や祖父母が腕白な子どもを叱る。そんな場面が、昔はよく見られたように思う。キリスト教の神父の立場から言わせてもらえば、この言葉は半分正しくて、半分間違っている。なぜなら、どれほど悪いことをしてきた人でも、心から後悔して神に謝るなら、神は必ずゆるしてくださるとキリスト教では信じているからだ。むしろ神は、道を見失って悪に染まり、闇の中で苦しんでいる人間こそ救いたいと願っておられる。神の愛とは、そのようなものなのだ。

 「では、地獄などいらないではないか」と思うかもしれないが、そうでもない。天国に入るのを嫌がる人たちだっているからだ。例えば、誰か大嫌いな人がいて、「絶対にゆるしてやるもんか」と思っている人にとって、天国は行きたい場所ではないだろう。なぜなら、天国はゆるしと和解の場であり、そこではすべての人と仲良く暮らさなければならないからだ。「自分さえよければ他人はどうでもいい」という人にとっても、天国は好ましい場所ではない。天国とは、すべてを分かち合い、助け合いながら生きてゆく場だからだ。「何でも自分の思ったとおりにしたい」という人も、天国には行きたがらないだろう。天国では、すべてが神のみ旨のままに行われるからだ。

 神はすべての人を天国に入れたいが、人間はそれを拒んで地獄を選ぶ。死んでからだけの話ではない。ゆるし合い、助け合い、神のみ旨のままに生きる人は、生きているうちから天国の喜びを味わい、それを拒む人は、生きているうちから地獄の苦しみを味わうことになるのだ。神のいつくしみを、自分から拒んでしまうことがないようにしたい。