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いつくしみ

ドメニコ・ヴィタリ 神父

今日の心の糧イメージ

 いつくしみとは、すべての人間が自分の子供や近親者に対して抱く情愛、また神自ら人間に寄せる慈愛などのことで、聖書の中でよく用いられる言葉です。

 特にイエス様の行動と態度には、いつくしみがハッキリと示されます。

 ご自分が十字架にかけられ、死が間近い苦しい状態の中で、隣に同じように十字架にかけられた罪人に対して、次のように約束されました。

 「あなたによく言っておく。きょう、あなたはわたしとともに楽園にいるであろう」と。(参 ルカ23・43)

 その罪人の過去のことを忘れ、自身の苦しみに耐えながら天国の約束をされたのです。これはまさに「いつくしみ」をよく示されている言葉だと思います。

 そもそもイエス様は神の子で、人間になる必要はなく、勝手にふるまった人間を救う義務などひとつもありませんでした。

 親がわが子をいつくしむように、私たちをいつくしんでくださったからこそ、人間となり、私たちを救いの道へと導いてくださったのです。

 これこそ神様の業なのだな、と思います。

 私は教区司祭になるために中学1年生の時に小神学校に入りました。卒業するまでの間、世界中で布教をした宣教師たちが学校に来て、色々な話を聞かせてくださいました。

 次第に自分の教区だけで働くのは狭苦しく感じ始めました。もっと広い世界で、いろんな人のために役に立とうと思い、イエズス会に入会し、イタリアから遠く離れた宣教地、日本へとやってきました。

 国や民族には関係なく、どんな人にもいつくしみの心を寄せることができたイエス様に、少しでも近づきたいと考えたからです。

 私は、イエス様がいつも目の前にいるものと心がけてきました。

 皆さん、すべての人をいつくしんだイエス様がいつも目の前にいると感じながら、他の誰かをいつくしみ、生きていきましょう。