「いつくしみ」」のお題を打ち込むと、それだけで私の心は温かく、軽やかになった。イエス様と「いつくしみ」が同意語となっているからか? 次の聖歌が響いてきた。歌詞を味わいながら歌うと、益々心が温かく、軽やかになった。
「いつくしみ深き友なるイエスは、罪、咎、憂いを、取り去りたもう。心の嘆きを包まず述べて、などかわ下ろさぬ負える重荷を。」
2番も続けて歌う。
「いつくしみ深き友なるイエスは、我らの弱きを知りて憐れむ。悩み悲しみに沈める時も、祈りに応えて、慰め給わん。」
歌っていると、これまでの人生でイエス様の慈しみによって救われた数々の場面が思い出される。夫の癌を告知され、病状に一喜一憂した時もそうだった。
夫婦は枝も根も絡めて立つ2本の樹のようだ。その片方が徐々に衰えるのを見守るしかないのは体の半分をもぎ取られる苦しみだった。死の絶望の前にこの世のものは全く無力だと思い知った。
しかし二人で心を合わせてイエス様に祈ると、あの聖歌の言葉の通り慰められ、全てを委ねることで心が軽くなり、苦しみに耐える力を頂いた。
夫が死んでいなくなったら私は一人で生きていけないと恐れていた。しかし夫が亡くなったその時、衰え崩れた夫の樹・いのちは天からの光を受けて燦然と私の傍に聳え立ったのである。「ああ!夫の魂はイエス様に抱かれて神と共に永遠に生きる天国へ直行した!」と信じられたので、私の心は感謝と喜び、平安に満たされたのである。
慈しみ深いイエス様は、コロナ禍に翻弄される私たちを憐れみ、悪い状況でも善いものを創造して助けようとされている。その大きな愛を信じて謙虚にイエス様に祈ろう。そして希望を持って明るく生きなければと思う。