もう8年以上も前になります。思い出深い黙想会に与りました。その時の黙想会を指導して下さった神父様はフランチェスコ神父さまとおっしゃいました。
黙想会の始まる前日、私はすでに黙想の家に到着していて、数名の参加者も夕食を頂くために食堂に集まっていました。その中にフランチェスコ神父様もいらっしゃったのですが、はじめは神父様と気づかず、話している中で「あ、この方は神父様なのだ!」と気づいた次第でした。とても気さくで壁がなく、初めてお会いしたとは思えないほどオープンな方でした。
翌日から黙想会が始まりました。私はその時、友人のAさんとの関係があまりうまくいっていなくて少し落ち込み気味でした。そのことを祈ったりしながら黙想会に与っていたのですが、数日後、神父様との面接の時が来ました。部屋に入り椅子に座ると、神父様は包み込むような落ち着きのある深いまなざしで見つめ、「シスターテレサ」と名前を呼んでくださいました。黙想会が始まる前に夕食で会っただけなのに、名前を憶えてくださっていて、名指しで呼ばれたのです!その時の温かい感覚が今も心に残っています。神父様にはまだ何も話していませんでした。でも、Aさんとのことで自分や相手を責めるような心になっていた私の心をそのまま受け止め、「大丈夫」、とすべてわかっていただき、赦していただいたような感じがしました。神様のいつくしみが神父様を通して伝わってきたようでした。
「地は主のいつくしみに満ちている」と聖書にあります。(詩編33・5)どんなに弱く小さい私にも、神様のまなざしがいつも誰かを通して、何かを通して注がれていて、それは尊くありがたいことだと今も思い返して、そう思うのです。