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いつくしみ

シスター 萩原 久美子

今日の心の糧イメージ

 以前住んでいた修道院の玄関を入ったところには、レンブラント作「放蕩息子の帰郷」の絵が掲げてあった。

 日頃は気にも留めないその絵が、なぜか疲れて帰ってきた時や自分の弱さや限界を感じた時に限って目に留まる。「今日は疲れたな・・・」「どうすればいいんだろう」、そうした言葉が湧いてきては自然とそこに立ち止まり、気づくとそれ以上の言葉は湧いてくることなく、ただ放蕩の限りを尽くして帰ってきた息子を"そっと抱く父親の姿"だけが目に映っていた。

 ある日、十字架の道行をしていた時、ふとレンブラントの描くあの父親のいつくしみ深い姿が思い浮かんだ。十字架の道行とは、キリスト教の伝統的な信心業で、私たちの罪を償うためにイエス・キリストが十字架の刑に処せられ、死んで復活することを黙想するものだ。

 イエス・キリストの受難を黙想しながら、私の罪深さが神のいつくしみをさらに深くしている、という思いがふっと湧いてきて、一瞬そこに立ち尽くした。罪のために神から離れようとする人間を、責めるのではなく、ともに心を痛めながら、なおも抱き続けられる神の愛をそこに感じたからなのだろうか。

 いつくしみやゆるしは、神が私たちに願わなくても無償で与えてやまないものだ。私が疲れた時、弱くなっているときに引き付けられたレンブラントの絵は、私に、神のいつくしみは、神が全能であるがゆえのものではなく、人間のどうしようもない弱さやもろさを知っているがゆえの、神の愛の深みからあふれる出るものなのだということに気づかせてくれるためだったのだと、改めて気づかされた。