▲をクリックすると音声で聞こえます。

いつくしみ

服部 剛

今日の心の糧イメージ

 今年2月、大切な恩師が90年余りの生涯を終え、旅立たれました。先生は私の良き理解者でした。高校卒業以来、詩と文学の道を志す私を、家族も親戚も心配していましたが、先生だけは私の本質を理解し、肯定してくれていました。

 病に倒れた先生が入院して半年が過ぎた昨年秋は、コロナ禍による2度目の緊急事態宣言が発令される前で、病院からはわずか10分だけの面会が許されました。長い間ベッド上で過ごし、すでに手足は動かず話もできない状態でしたが、耳は聴こえており、呼びかけると目を開き、じっと私を見つめました。そのまなざしから〈自分の信じる道を貫いて歩みなさい〉というメッセージを受け取り、私は黙して頷いてから、病室を後にしました。

 先生は点滴のみで命をつないでいましたが、ある晩、奥様から電話があり、先生が旅立たれたことを聞きました。

 数日後、私が日頃お世話になっている神父様にお願いをすると、先生の自宅に駆けつけてくださいました。先生が天に導かれるように祈ってくださった時は、胸に熱くこみあげるものがありました。英国に在住する先生の娘さんはコロナ禍ゆえに帰国が叶わず、ビデオ通話で祈りのひと時に与りました。

 日夜にわたり先生を案じてきた奥様は涙を流し、隣に坐っていた私は思わず、その背中をさすりました。ビデオ画面の中で父の姿に会えた娘さんも涙していました。そして、私がふと、娘さんの隣に映るイギリス人の夫の表情を見ると――彼の青い瞳が、悲しみに寄り添うイエスの慈しみ深い瞳と重なるように見えたのでした。

 神父様は優しく高らかにラテン語の聖歌を歌い、皆の祈りにより悲しみを分かち合い、先生を見送る忘れ得ぬひと時となりました。