劇作家の秋元松代先生に26歳の時に出会った。私の人生において幸運なことだった。先生は67歳から71歳までに3作の戯曲を書いた。『近松心中物語』、『元禄港歌』、『南北恋物語』。このことも凄いことだが、私は心底驚いたことがある。この3作品を書いたあと、秋元先生は坪内逍遥訳の『シェークスピア全集』を買った。全集は三島由紀夫にもらったという木の本棚に納められていた。
先生の山梨の別荘を訪ねた時、心なしか青白い顔をしていた。その理由は最後の作品、「『冬物語』を読んだら、3日間も眠れなくなった」と低い声で言われた。私はこの話を伺って、シェイクスピアの作品を読んで、3日も眠れなくなる秋元先生に仰天した。私はエリザベス朝演劇を専攻し、シェイクスピアの全作品を読んでいるが、いつも熟睡だった。シェイクスピアに対して、同じ劇作家である秋元先生が純度の高いジェラシーや絶望感を抱けること自体が才能だった。
私は30歳になろうとしていた頃、自分の存在に限界を感じ、東京を離れ、もう一度自分の道を探そうと決心した。私は秋元先生の別荘を訪ね、お別れに行った。秋元先生は、「ほうとう」という鍋料理を作ってくださった。軍旗に孫子の「風林火山」と記し、戦国武将の武田信玄は麺を宝刀で切り、野菜と混ぜた味噌仕立ての鍋料理を食べて戦に臨んだと言われている。宝の刀と書く武田信玄由来の鍋料理で見送ってくださった。
先の見えない私に、戦の出陣の料理を作ってくださった秋元先生のことを思い出すと心のなごみを感じる。私の使命は主のみ言葉を、「はやきこと風のごとく、静かなること林のごとく、宣べること火のごとく、動かざること山のごとく」走り続けよう。