私と妻が結婚して10年が過ぎました。日々を暮らす中で、妻が台所で皿を洗ったり、布団を干したりする姿を見て、ふと〈なぜ私はこの人と共に生きているのだろう?〉と、不思議な気持ちになることがあります。手際は良いけれどもあわてん坊な姉さん女房と、おっとりマイペースながらも几帳面な私は、まさに割れ鍋に綴じ蓋で、晴れの日も雨の日も支え合い、歩いてきました。
結婚前から詩人を志していた私に、出逢った頃の妻は「霞を食べてでも、生きていきましょう」と言いました。あれから10年――今では妻にまったく頭の上がらない私ですが、それ以上に、詩と文学に勤しみ、好奇心に満ちた私を掌の上に乗せ、自由に育んでくれていることを感謝しています。
最近はお互いに太りやすい年齢になり、週に何日かは共にジョギングをするようになりました。川沿いの道を歩き、体がなじんだ頃にゆっくり走り始めます。日頃は妻に言い負かされている私も体力だけは負けないようで、10分ほど走ると、妻は歩くこともあります。――しかしある日、私が余裕をもって走っていると、傍らを風のように追い抜いていく妻の背中がみるみるうちに...小さくなっていきました。なかなかやるな、と見守ってジョギングを終え、公園のベンチに腰を下ろしました。私が麦茶を飲んでいると、妻は「若い頃は坐禅を組むような気持ちで走っていたわ。心を無にして風や陽の光を感じながら走るのがいいのよね」と、清々しい顔で言いました。
以前、親しい老婦人の方から「夫婦は人生の同伴者」と伺ったことがあります。共に走った後に公園のベンチで、日々の他愛ないことや息子の成長を語らうのは、私たちにとって心の和むひと時になっています。