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心のなごみ

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

 私にとって心和む時は、帰省して肉親や親戚に会う時です。その時、自分の心が幼い時に戻るからでしょうか。自分の心の鎧兜を外して、寛ぐことが出来ます。

 けれども、帰省する事が、時には不可能な場合もあります。私が、修道司祭になる為の養成期間を過ごしていた時の事です。修練期という期間を過ごしました。この時、私の先輩や後輩は、夏休み期間中、帰省したり他県にレクレーションに出かけたりしたのですが、私だけは、修練期を過ごしている所為で、何処にも行くことが出来ませんでした。この時、どのようにして心和む時を過ごすかが、私にとって大きな課題となりました。

 ところで、旧約聖書の中に、イスラエルの王となったダビデが、神の箱がエルサレムに運び入れられる際、裸になって、力の限り踊った事が記されています。(参 サムエル記下 6章)彼は、神の箱の前で、つまり主が現存される、その場で、文字通り自らの鎧兜を外して、喜びに溢れて踊ったのです。ダビデにとって、主の御前は、寛げる場、心和む場であったに違いありません。

 カトリック教会の聖堂、或いは、カトリックのミッション系の学校や病院の聖堂の中には、聖櫃(聖体が安置されている櫃)が設けられています。この聖櫃は、ダビデが、旧約時代、その御前で踊った、神の箱に相当するものです。多くの人が、ここで心の鎧兜を外し、心和む経験をします。私自身、帰省せずとも、ここで、心和むひと時を過ごす事が出来るようになりました。

 救い主であるイエスが、聖体と言う形で、今も、私達と共にいて下さっている、その事に深く感謝しています。そして、この事を、多くの人が知るようになる事を祈っております。