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いつくしみ

林 尚志 神父

今日の心の糧イメージ

日常の生活の中で、「いつくしみ」という言葉をあまり使わないような気がします。祈りとか聖歌の中ではよく出会い、使う言葉です。

人生の中で体験的にこの言葉と繋がる出来事があります。未だ10代の頃です。私は3兄弟の長男でした。70年以上前、いわゆる戦後の食べ物の無い、子どもにとってひもじい時代でした。兄弟が顔を揃える夕食時に、おかずの大きさなどでよく兄弟喧嘩が始まりました。「お兄ちゃんの方が大きい、分けて」「うるさい」等、果ては取っ組み合いの騒動にもなりました。

そんな時、台所から「食べ物の事で喧嘩するなら、お母さんの分を食べなさい」という声がしました。さすがに母親の分まで競って飛びつきはしませんでした。くしゅんと大人しくなり黙って食事を終わったものです。食卓の上には母親の食べる分だけが残っています。

「お母さん、これどうするの?」と恨みったらしく聞くと、「台所に下げておいて」と言われます。

冷蔵庫などの無い頃です、布巾がかぶされて戸棚に入れられます。

寝る前や夜起きた時など、足音を忍ばせて、そっと台所に行ってみると、手付かずでそのままです。お腹がぐっと鳴っても諦めます。

それは翌日のおかずの中などに混じり分けられていました。

母親のこの断食には、兄弟喧嘩も鳴りを潜めたことをよく覚えています。自分は食べないで分けて平和を創る。この様な生き様の中に、母親のいつくしみを感じて、いつくしみという言葉を理解しています。

格差と排除の顕著な現代世界の中にコロナの感染症がパンデミックとなりました。人類の中に「分け合う」といういつくしみが豊かに与えられて、新しい平和が到来することをひたすら待ち望みます。