教皇フランシスコは、2015年、「いつくしみの特別聖年」を開催されました。
私は、奉献生活25周年でローマ巡礼に行かせていただき、「聖年」にしか開かれない聖なる扉をくぐることができ、その恵みに感謝し、特別聖年の大勅書をグループで読み、感想や体験を分かち合って父なる神のいつくしみの理解を深めました。
5年の月日が経った今でも、聖年閉幕の際に教皇様が言われた「常に私たちに広げておられる御父のいつくしみを生活の中で体験する」という言葉が私の心を照らしてくださり、聖なる扉をくぐる意味を実感しています。
特別聖年には、ローマだけでなく、世界各地に聖なる扉が設けられ、痛ましい出来事が続く世界に「誰も神のいつくしみから排除されない」、御父の限りないいつくしみが示されました。
「いつくしみ」とは、神の「揺さぶられる心」です。他人に対してどんなに落胆や憤りを感じることがあっても、その相手が大きな苦しみや悲しみにある時、私自身、胸が潰れそうな、深い共感の気持ちに変えられた体験が何度もあります。その度に、私は、一人ひとりに深い「憐れみ」の心で寄り添ってくださる御父の心を想います。どんな過ちや罪をおかしても、裏切られても、立ち直って生きていってほしいと思う親心だと感じます。
聖年の聖なる扉は、例外なく誰に対しても両手を広げて待つ御父のゆるしと憐れみのしるしです。しかし、その門をくぐろうとする私たちからの応答が求められているのでしょう。通常25年ごとにしか開かれない扉が特別聖年で開かれ、どんな時にも変わらない御父のいつくしみが表されました。私たちは、御父のいつくしみの心を忘れずに歩み続けたいものです。