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心のなごみ

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

 「心のなごみ」という言葉から私が連想したことは、心温まる、アットホームな感じ、家でくつろいでいるような気持ち、気の置けない人との何気ない会話、子どもの屈託ない笑顔等です。そのように思い浮かべるだけで、自然に自分の心が穏やかになりました。

 しかし、今、どれだけの人々が「心のなごみ」さえなく、自分の居場所や平穏な日常生活を奪われてしまっているのかと考え直しました。新型コロナウィルス感染拡大の長期化によって、私自身、いつも、心のどこかで不安やストレス、緊張を感じています。

 先が見えない厳しい現実の中で、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子(私)には枕する所もない」という聖書のイエスのみ言葉が思い出されます。(ルカ9・58)言い換えると、「私には家がない」、家でくつろぐことも心がほっこり、和むことがないということでしょう。

 イエスの宣教活動を追っていくと、多くの人々がイエスのもとに押し寄せて、確かに食べる間も休む間もなかったり、弟子たちでさえイエスを理解しなかったりという状況がわかります。しかし、イエスも、一人の人間として、ホッとする時、心が和む時を切望されていたに違いありません。

 私たち、キリスト者は、今も、イエスが一人ひとりのうちに、出来事の中におられると信仰のうちに信じています。イエスが「枕するところがない」と言われるならば、私は、イエスに「枕するところ」を提供していきたいと思います。それは、今も自分の居場所、心や体を休める場所のない人々に、具体的に「心のなごみ」となるようなひと時、場所を分かち合っていくことではないかと思い巡らしています。