神様はときどき和んでおられるかしら、とおせっかいな心配をすることがあります。聖書には7日目が安息日とありますが、いまやその7日目に世界中の信者がお祈りしたり捧げ物をしたりしています。時差を考えれば、神様は結局、貴重な7日目にも24時間、世界からの祈りに対応されているのです。
たまには和みたいと思われたからかどうか、神様はたくさんの愛らしい生き物を造られた気がしています。その一つが、小鳥だと、私は感じています。もちろん、小鳥も命がけで生存・繁殖しているのですから、可愛らしい毎日ばかりを送っているわけではありません。野鳥観察者の話を聞くと、シジュウカラのような快活で愛らしい小鳥にも、目を背けたくなるような倫理違反や犯罪めいた行動が見られるそうです。
それでも、小鳥たちは小さいがゆえにほかの生物には真似できない美しく高い声を与えられ、囀りという芸術を許され、空を飛んで天の近くに行けるのです。
私は自分の目で夜明けを見ることができませんが、小鳥たちの張りのある声と全身の力を込めた囀りを聞くと、空が明けていく様子を感じ、心がすっと和むのです。そんなとき、神様も彼らの声に和んでおられるのではないか、などと思います。
こうしていつしか私は、小鳥は神様の箸休め、と思うようになりました。そして、彼らの精一杯の生き方を声から感じながら、私も箸休めの気持ちで和みを与える立場になりたいと考えはじめたのです。
箸休めは小さいけれど、食事の大切な部分で、心を和ませてくれます。このように、和みは単なる休憩でなく、次に進むための大切なエネルギーだと思います。神様の箸休めは、私の人生訓になりました。