去年の10月31日夜、東京の娘から電話があった。「きれいなお月様よ!見て!見て!」急いで外に出た私は「わあ!」と歓声を上げた。澄んだ夜空にサフラン色の大きな満月虹彩を放って輝いていた。
明治神宮鎮座百周年記念のナイトウオークとかで、大勢の人がこの美しい満月を楽しんだ。近くに住む娘も友人に誘われて出かけ、あまりの美しさに急いで電話してくれたのだった。
煌々と輝く満月はいつ見ても心が和み、良いものだが、その夜の満月は特に神々しいばかりに美しくて心が澄み渡った。近くの小公園のベンチに座り、優しい光に包まれてうっとりしていると、その奥にある神の美しさを仰ぎ見る敬虔な安らぎに満たされた。
いのちの源である神が創造されたものは全て美しい。それは神が造られたもの全てを愛し、生かしておられるからだと想う。
特に人類は「神の息吹を受けて生きる者となった」と聖書にある。(参 創世記2・7)真・善・美の源でもある神のいのちを内蔵する人間の体と魂の絶妙さは、まさに神業としか言いようがない。
その神を「天の父よ」と親しく呼びかけて「善意の人全てを分け隔てなく愛し、いつも共にいて下さる。だから何事も恐れるな」と神のみ子イエス・キリストは説いた。この愛の教えに、幼い時両親を失っていつも不安だった私は救われた。ありのままで神に愛されているという想いが安心して生きる基盤となったからだ。
求めれば必ず与えられるこの神の無償の愛を知れば、人は絶望することなく、強く、優しく、心安らかに生きられるのではないか。
世界中がコロナ禍で大変な昨今だが、どんなに悪い状況からでも善いものを創造される神の憐れみと愛のみ心は変わらない。だから希望を持って明るく生きようと想う。