人は一人では生きていけません。
孤独を感じ、自分のことを誰も理解してくれる人がいないと思う人は、寂しくてたまらないものです。
友達を求めることは人間の本来の欲求です。気の合う仲間とのおしゃべりを楽しんだり、スポ-ツをしたり、飲食したりするような友達づきあいを私たちは望むものです。そうして、いつしか、互いに気心が知れた良い友ができるでしょう。自分の悩みを聞いて相談に乗ってくれたり、親身になってアドバイスをしてくれたりするような親友もできるでしょう。できなければ、そんな友がほしいと願うものではないでしょうか。
ところで、神様は私たちにとってそのような友、いや、それ以上の方です。
私たちが望めば、いつでもどんな話でも耳を傾けてくださり、私たちの心をよく理解してくださいます。もし間違っていれば優しく叱責してくださり、正しい道を示してもくださる方です。
つまり、この世界でもっとも良い親友なのです。
そんな神様と、私たちはどのようにつきあえばよいでしょうか。
それは祈りにおいてです。
教会博士であるアビラの聖テレジアは、「祈りとは、自分が神から愛されていることを知りつつ、その神とただ二人だけでたびたび語り合う友情の親密な交わり」だと言いました。(「イエズスの聖テレジア自叙伝」より)
神様に祈るのは、難しいことではありません。教会や静かな場所で、沈黙のうちに、神様の存在を意識して、沈黙のうちに、今日からでもできることです。
最初は、あいさつから。そして、今日、自分にあったこと、うれしかったこと、辛かったことなど、なんでも話してよいのです。
神様は聴いてくださっています。
きっと心はなごみ、今日と明日を元気に生きる力を与えられます。